浅井 図南


浅井 図南

【あさい となん】

【人物】

 

参考:国立国会図書館 医家先哲肖像集
参考:国立国会図書館 医家先哲肖像集
  • 医師
  • 出身地:尾張藩
  • 生没年:宝永3年(1706)~寛政4年(1792)
  • 本名:惟寅(これとら)集

【菅江真澄関連人物】

 祖父の代から高名な医者の家系であり、図南も京都で医学本草学を学び、父の跡を継いで医師・医学の指導者となった。

 

 真澄は尾張藩で薬草園があった駿河町で医学・本草学を学んだとされ、薬草採集の登山に同行したりした。

 真澄は後年、《雪の出羽路 平鹿郡》で『カッパの骨接ぎ薬』に触れた折、比較対象に浅井家の接骨技術を挙げている。

 

 また図南は真澄が同じく師事した丹羽嘉言の著作物に跋文(あとがき)を寄せたというヨコの繋がりもある。

 

他、書画にも優れていた。

享年77。

イメージ画
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最終更新:2024/07/18

【田口昌樹(著)/無明舎出版】