くじゅうくしま
にかほ市象潟町焼島
最終更新:2024/1/27
真澄記:
「『八十八潟九十九森』と道行く人は呼ぶ。
紅葉のなか小舟を漕いで島々を巡る。
かつてこの地を訪れた芭蕉、西行法師、北条時頼の詠んだ和歌を詠み先人達に思いを馳せながら、
この浦の眺めにはただ心が満ちたり、涙ばかりこぼれひたすら故郷のことを思うた。」
《秋田のかりね》
⊞ 真澄記・九十九島の各島の名称《秋田のかりね》
- 妙見島
- 稲荷島
- 入道島
- まと島
- けんかい島
- 能因島
- 鍋粥島
- 兵庫島
- からす島
- 堆島
- まがくし
- 今津島
- しし渡り
- つづき島
- 大島
- めおと島(夫婦松)
- 苗代島
- ひら島
- なら島
- 弁天島
- 蛭子島
- 鷹島
- 天神島
- 大森
真澄初期スケッチ集『粉本稿』には鳥海山の足元にある九十九島を描いている。
《粉本稿》
⊞ 象潟と地面の隆起
かつての象潟は無数の小島が浮かぶ『潟湖』だった。
古くから松島と並ぶ名勝の地として知られ、多くの文人墨客が訪れている。
文化元年(1804)、象潟地震により2m以上地面が隆起し、現在は陸となっています。
水田は浮かぶ島々は、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定されています。
文化7年(1810)9月、真澄翁が男鹿に滞在中に地震に見舞われ(男鹿大地震)た時に、文化元年に起こった象潟地震の話を人伝に聞き日記に記している。
魂も身にそぐわない思いがした、と。
《男鹿の寒風》
⊞ 象潟に訪れた文人墨客の歌
松しまやおしま塩かま見つゝきて 爰(ここ)にあはれを象潟のうら
親鸞上人
世の中はかくても経けりきさかたの あまの苫屋をわが宿にして
『後拾遺和歌集』能因法師
きさかたの桜は浪にうづもれて 花の上こぐあまのつり舟
伝/西行法師
命あらばまたも来て見ん象潟の 心とどめし松のみどりに
伝/北条時頼
象潟や雨に西施がねぶの花
松尾芭蕉『おくのほそ道』
汐越や鶴はぎぬれて海涼し
松尾芭蕉『おくのほそ道』
ゆふ晴や桜に涼む波の華
松尾芭蕉『おくのほそ道』
象潟や料理何くふ神祭
河合曾良『おくのほそ道』
波こえぬ契ありてやみさごの巣
河合曾良『おくのほそ道』
象潟や雨ニふられてねぶり宿
平賀源内 蚶満寺『旅客集』
象潟や鳩がくれ行刈穂船
小林一茶 蚶満寺『旅客集』
きさかたや今はみるめのかひもなし むかしながらの姿ならねは
古川古松軒
なみ遠くうかれてこゝにきさかたや かつ袖ぬるゝ夕ぐれの空
菅江真澄『秋田のかりね』
百合の山路越え来て合歓の花の里
河東碧梧桐『三千里』
怨むがごとき幽艶にして清趣に富める一場の風景は忽然としてこの世のものにはあらずなりぬ。
されど其の島の址、其の寺の址思ふに、この潟の美は蓋(けだ)し鳥海山一帯の翠薇にありたるなるべし。
田山花袋『羽後の海岸』
それにしてもー、タテ・ヨコ一里の入江にたくさんの島が浮んでいたというのは奇勝だったにちがいない。それがいま大地が盛り上がって、田園のなかに散在している。
これも妙趣というほかない。
司馬遼太郎『街道をゆく』
かつてここが海に囲まれた島々だったとはにわかに信じがたいですが、
春先の田植えの時期になると水を張った田があたかも海面に見えて往時の風景を想起させます。
また道の駅象潟の展望台のとある一角から眺めると、反対側の海の水平線がガラスに反射してガラス越しに海に浮かぶ島のように見ることができます。お試しあれ。
- 駐車場:なし(道の駅きさかた、蚶満寺かいずれかの駐車場)
- 案内板:一部島にあり
- トイレ:なし
- 蚶満寺
- 小砂川
- 鳥海山
◆参考文献・書籍・施設
- 菅江真澄遊覧記第1巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 大館市立図書館HP 著作集 粉本稿(PDF)
- 東洋文庫27 東遊雑記 奥羽・松前巡見記/古川古松軒・大藤時彦解説
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- にかほ市 象潟郷土資料館
- 各種説明板
取材日:2019/09/13
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