【あきたはちじょう】
【工芸】
安栄9年(1780)、奥州伊達郡(福島県)から移住してきた石川滝右衛門が秋田において養蚕・絹織業を営んだことから始まる。
その後、秋田藩では殖産振興を図るため文化11年(1814)から絹方役所を設け、絹織物の生産が盛んとなる。
秋田八丈は秋田沿岸に自生するハマナスの根を染料として用い、独特の鳶茶色を基調に多彩な縞模様の平織、畝織を生産した。
最盛期は明治27年(1894)頃で、機業場は秋田市内で27件にも及び、年産6万反にも達したといわれる。
秋田八丈は独特の鳶茶色の色調が洗い張りを重ねるほどに色艶が増し、堅牢性が特色とされる。
昭和55年、秋田県無形文化財指定。
イザベラ・バードは明治11年7月に、久保田に滞在の際に地元の主工業として縞の絹地を見た。
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◆参考文献
- 秋田ふるさと村展示
- 完訳 日本奥地紀行/イザベラ・バード 金坂清則訳
- 各種説明板
最終更新:2024/4/9
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