戊辰戦争(秋田口の戦い)

戊辰戦争(秋田口の戦い)

【戊辰戦争(秋田戦争)】

【戦史】


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 慶応4年戊辰(1868)7月、奥羽列藩同盟を脱退して官軍方となった秋田藩は、まもなく四方から列藩同盟軍に攻め込まれることとなった。

 

 7月28日に院内口から侵入した庄内・米沢・仙台藩兵からなる列藩同盟軍三千余は、横手を目前にして軍勢を二つに分け、庄内藩一番隊と米沢藩兵は横手城の攻略に向かい、庄内藩二番隊と仙台藩兵は浅舞から角間川を目指して進撃しました。

 『耳取合戦記』(田根森村郷土史談会編 昭和三年刊行)によると、大雄地区に侵入した

列藩同盟軍は、潤井野おあら耳取を通り、陰暦八月十一日正午頃に田村新町の秋田藩伝馬役所を占拠して休息しました。

角間川に駐屯していた秋田藩兵は同日早朝に出発して浅舞へ進撃中であり、精兵村で昼食を取って八柏に向かったところで列藩同盟軍の動きを察知しました。

 陣容を整えて引き返してきた秋田藩兵三百余人は、現在の折橋の忠魂碑の東北方に大砲を据え、午後四時半頃から新町の伝馬役所にいた列藩同盟軍に向けて砲撃を開始しました。

列藩同盟軍約三百人ははじめ善兵衛堰に入って身を隠しながら鉄砲で応戦しましたが、これに秋田藩兵が肉薄したためいったん後退し、傾城塚周辺で激しい白兵戦になりました。

夕刻には秋田藩兵は角間川に退却し、列藩同盟軍は折橋・耳取・四ツ屋の民家に放火しながら

横手方面に退却したため、戦闘は終わりました。

 

・合戦の戦死者

官軍

秋田藩 関口 小弥太

    阿部 久治

    市川 市三郎

    専蔵

    甚七

    十郎兵ェ

    喜右ェ門

    忠治

    惣助

 

奥羽列藩同盟軍

仙台藩 菊池 善左衛門

    軍医

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◆参考書籍


最終更新:2024/10/18

【加藤 貞仁 (著)/無明舎出版】