【ぶんかろこう(Инцидент Хвостова)】
【事件】
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文化4年(1807)春、ロシア船がカラフト・エトロフ島(当時は日本領)を砲撃、幕府の船を焼くという事件が起きた。
事態を重くみた奉行は増兵し前線を防備を固める事になった。
菅江真澄は当時森岳(三種町)に滞在しており、秋田からも多勢派兵するというので、街道や渡し場は人馬が慌ただしかった様子を記している。
《おがらの滝》
でわwiki関連リンク
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木戸の沢
◆参考書籍
- 菅江真澄全集第/
- 菅江真澄遊覧記第 巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
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- 秋田叢書 巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種標柱・説明板
最終更新:2024/10/17
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