文化露寇(フヴォストフ事件)


文化露寇(フヴォストフ事件)

【ぶんかろこう(Инцидент Хвостова)

【事件】

幕末・明治・大正回顧八十年史 第2輯9 ニコライ・レザノフの来朝
幕末・明治・大正回顧八十年史 第2輯9 ニコライ・レザノフの来朝

編集中

 文化4年(1807)春、ロシア船がカラフト・エトロフ島(当時は日本領)を砲撃、幕府の船を焼くという事件が起きた。

事態を重くみた奉行は増兵し前線を防備を固める事になった。


 菅江真澄は当時森岳(三種町)に滞在しており、秋田からも多勢派兵するというので、街道や渡し場は人馬が慌ただしかった様子を記している。

おがらの滝


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◆参考書籍


最終更新:2024/10/17

【V. M. ゴロヴニン (著), 斉藤 智之 (翻訳)】