大日堂舞楽

大日堂舞楽(鹿角市)

だいにちどうぶがく

鹿角市八幡平堂の上

 

最終更新:2025/03/15


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 正月の2日に鹿角市の大日霊貴神社で奉納される大日堂舞楽は、秋田県内で大々的に告知される祭事ではもっとも早く行われる神事ではなかろうか。


 神事は午前8時から催される。

私の地元(大仙市)から鹿角市までは結構な距離があり、ましてや県南から北へ直通の要・国道341号線は冬期間閉鎖となるのである程度の遠回りを強いられ、現地へ到着した頃には前奏の地蔵舞等は見学できずじまいだった。


いずれは舞楽の全容を初頭から拝観したいものだが…。

 

◆大日堂舞楽 沿革

  • 祭日:正月2日
  • 巡行:各集落から境内に参加
  • 人員:大里、小豆沢、長嶺、谷内の4集落から3~8名の能衆、加えて大・小博士など多数
  • 奉納社:大日霊貴神社

 

 社殿内は参詣客でずいぶんと賑わっていた。賑やかではあったがこれから本舞を控えてるせいか、どこかピンと張ったような緊張感も感じた。正月特有のあの厳かな空気感は子供心に感覚を失って久しい。


 正月らしい空気を感じた事に慶びを覚えながら初詣もここで済ませた。

賽銭箱の脇に、大日堂舞楽の資料を網羅した書籍が頒布されていたが財布と相談と相成った。いずれ手元に置いておきたい。

 

 社殿の真ん中に舞台が常設されており、お囃子奏者たちが鬨は今かと構えていた。


大日堂舞楽が今 始まる。



舞楽 全容

 大日堂舞楽は地元ではザイドウと呼ばれ、正月2日の大日霊貴神社の養老例祭に奉納される。

能衆(神様に扮する舞手)は堂内の舞台で、本舞と言われる7種目の舞とその前に行われる神子舞、神名手舞の2種目を舞う。

※ザイドウ

 漢字で祭堂、在堂、罪當とも書く。
地元では訛ってザイド、あるいはジエドウとも呼び、『大日堂舞楽』とは呼ばないという。
 語源は不明。仏教用語でザイト(済渡)とは衆生を救うという意味だが、『祭堂』の当て字は戦後からの脚色である見方が強い。

《引用:『増補 大日堂舞楽』の本田安次博士の記より》

 鹿角の代表的な伝説の一つ、だんぶり長者・吉祥姫の物語に由来するといわれる。


 小豆沢で大日神の申し子として生まれた長者夫婦の娘は26代・継体天皇の后となり『吉祥姫』と呼ばれた。

姫はのちに父母を追慕して当地に大日堂示現社を建てた。


 今に伝えられる祭礼の舞楽は、吉祥姫を込むだんぶり長者のあらましをモチーフに舞われる。

 例祭当日午前8時、大日堂に各4集落が参集する。

本舞の前に大日霊貴神社の宮司がお祓いをし、修祓の儀、旗上げ、花舞、祝詞を上げるなどをする。



舞の種類
 面はいずれも御神体として崇められ、能衆の中でも限られた者にしか手に掛ける事ができない。
舞楽が終わると能衆も帰って休むが、その夜は誰もが一切の外出を禁じた。
それは権現様がお山へお帰りになるので会わないようにするためだと伝えられた。

【修祓の儀~花舞3種】

 本舞の前に行われる神前式。

舞台を清め、各集落の舞手『能衆』が集い堂の正面で花舞を舞う。

 

 

最初に舞われる『籾押し』は、小豆沢地区の青年多数によって奉仕される。農作業姿で田植え作業を表現したものとされる。

【大小行事】
 神子舞・神名手舞を挟んで大里・小豆沢地区の青年らが『大行事』『小行事』を行う。唱えごとをしながらお米とお金を四方に撒き、舞台を清める。

 

 『花舞』ともいう。本舞の前に行われる。各集落に共通したもので能衆の全員が舞う。
 神子舞(みこまい)は、『天の神』を礼拝ずる舞とも言われる。
右手に鈴、左手に紙垂(しで)。
 神名手舞(かなてまい)は、『地の神』を礼拝する舞と言われる。
右手に紙垂。

【地蔵舞】
 修祓の儀の後に4集落能衆全員が権現舞を舞う。
昭和初期までは、権現舞の前に神子舞と神名手舞も一同で舞ったが、今は行われていない。

【本舞7種】

 各集落ごとに分担・継承されている。

舞の行われる順序は時代によって変化しているが、7つの舞すべて奉納されるまでに約2時間ほど要する。

 

  • 担当:小豆沢地区
  • 能衆:8人
  • 所要時間:約13分

 継体天皇と吉祥姫の嫡子・五ノ宮皇子が五ノ宮嶽に登り、そのまま姿を消したという伝説によるもので、五ノ宮嶽の隣にそびえる八森岳に龍が出て、それを鎮めるために獅子頭を奉納したのが舞の起源とされる。
1人が獅子頭をかぶり、子供(オッパカラミ)が尾を持ち、6人がそれを取り囲むように立ち、笛太鼓に合わせて舞う。

 

 

 

  • 担当:大里地区
  • 能衆:2人
  • 所要役:19分

 天皇にまつわる駿馬をあらわす舞ともいわれる。
紙垂笠をかぶり、胸に木製の馬頭をつけ、馬頭を振りながら、笛、太鼓のはやしで舞う。
この御神体をつけると温和な人でも荒馬のごとく勇しくなるといわれる。

 

  • 担当:長嶺地区
  • 能衆:6人
  • 所要時間:約15分。

継体天皇の后であった吉祥姫を葬る様を舞にしたものといわれ、『墓固めの舞』とも呼ばれる。
舞の最後に大博士、小博士(官職)は持参したお守りを参拝者に撒き、これを拾った者は大運を拾うと伝う。

 

 

 

 

 
  • 担当:大里地区
  • 能衆:(童子)3人
  • 所要時間:約18分

だんぶり長者が飼っていた鳥の舞といわれている。
親子がむつみ合う様を可憐に舞う。

 

 

 

 

 

 
  • 担当:谷内地区
  • 能衆:6人
  • 所要時間:約30分

大日如来(金剛界、胎蔵界)に化身しただんぶり長者が普賢菩薩、八幡菩薩、文殊菩薩、不動明王を従えた様子を表すと伝えられる。
 太鼓の囃子に合わせながら祭文(声明)が唱えられ、まず本舞から10種類以上の舞を奉納し、最後に大博士が太刀で九字を切り、鈴を鳴らして舞を終える。

 

 
  • 担当:大里地区
  • 能衆:4人
  • 所要時間:約11分

大日霊貴神社の御神体を彫刻する姿を表したと伝わる。
そのため両手のバチは鑿(ノミ)を象ったといわれる。

 

 

 

  • 担当:小豆沢地区
  • 能衆:6人
  • 所要時間:約7分

だんぶり長者夫婦が農夫の耕作の労を慰めるために舞われたとも、農耕の様子を表現した舞であるともいわれる。



アクセス
駐車場 案内板 トイレ
△(路肩) ×


関連アーカイブ
  • 大日如来の堂(大日霊貴神社)
  • だんぶり長者伝説
  • 吉祥姫伝説
  • 五の宮嶽伝説

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◆参考文献

  • 増補 大日堂舞楽
  • 各種説明板

取材日:2019/01/02