だいにちどうぶがく
鹿角市八幡平堂の上
最終更新:2024/1/31
あああああ
大日堂舞楽は地元ではザイドウと呼ばれ、正月2日の大日霊貴神社の養老例祭に奉納される。
能衆(神様に扮する舞手)は堂内の舞台で、本舞と言われる7種目の舞とその前に行われる神子舞、神名手舞の2種目を舞う。
⊞ 『ザイドウ』とは?
鹿角の代表的な伝説の一つ、だんぶり長者・吉祥姫の物語に由来するといわれる。
小豆沢で大日神の申し子として生まれただんぶり長者夫婦の娘は26代継体天皇に献じられて吉祥姫と呼ばれ、后となった姫はのち父母を追慕して当地に大日堂示現社を建てた。
今に伝えられる祭礼の舞楽は、養老の式礼として楽人から里人に伝承され、地元の4集落で分担して奉納することとなり組織された。
→【関連】だんぶり長者伝説
例祭当日午前8時、大日堂に各集落が参集する。
本舞の前に大日霊貴神社の宮司がお祓いをし、修祓の儀、旗上げ、花舞、祝詞を上げるなどをする。
⊞ 神子舞・神名手舞(みこまい・かなてまい)
『花舞』ともいう。本舞の前に行われる。
各集落に共通したもので能衆の全員が舞う。
神子舞は、『天の神』を礼拝ずる舞とも言われる。
右手に鈴、左手に紙垂(しで)。
神名手舞は、『地の神』を礼拝する舞と言われる。
右手に紙垂。
⊞ 地蔵舞
修祓の儀の後に4集落能衆全員が権現舞を舞う。
昭和初期までは、権現舞の前に神子舞と神名手舞も一同で舞ったが、今は行われていない。
⊞ 本舞7種
各集落ごとに分担・継承されている。
舞の行われる順序は時代によって変化しているが、7つの舞すべて奉納されるまでに約2時間ほど要する。
⊞ 権現舞
小豆沢地区担当。能衆8人。所要約13分。
継体天皇と吉祥姫の嫡子・五ノ宮皇子が五ノ宮嶽に登り、そのまま姿を消したという伝説によるもので、五ノ宮嶽の隣にそびえる八森岳に龍が出て、それを鎮めるために獅子頭を奉納したのが舞の起源とされる。
1人が獅子頭をかぶり、子供(オッパカラミ)が尾を持ち、6人がそれを取り囲むように立ち、笛太鼓に合わせて舞う。
⊞ 駒舞
大里地区担当。能衆2人。所要役19分。
天皇にまつわる駿馬をあらわす舞ともいわれる。
紙垂笠をかぶり、胸に木製の馬頭をつけ、馬頭を振りながら、笛、太鼓のはやしで舞う。
この御神体をつけると温和な人でも荒馬のごとく勇しくなるといわれる。
⊞ 烏遍舞(うへんまい)
長嶺地区担当。能衆6人。所要約15分。
継体天皇の后であった吉祥姫を葬る様を舞にしたものといわれ、『墓固めの舞』とも呼ばれる。
舞の最後に大博士、小博士(官職)は持参したお守りを参拝者に撒き、これを拾った者は大運を拾うと伝う。
⊞ 鳥舞
大里地区担当。能衆(童子)3人。所要約18分。
だんぶり長者が飼っていた鳥の舞といわれている。
親子がむつみ合う様を可憐に舞う。
⊞ 五大尊舞
谷内地区担当。能衆6人。所要約30分。
大日如来(金剛界、胎蔵界)に化身しただんぶり長者が普賢菩薩、八幡菩薩、文殊菩薩、不動明王を従えた様子を表すと伝えられる。
太鼓の囃子に合わせながら祭文(声明)が唱えられ、まず本舞から10種類以上の舞を奉納し、最後に大博士が太刀で九字を切り、鈴を鳴らして舞を終える。
⊞ 工匠舞
大里地区担当。能衆4人。所要約11分。
大日霊貴神社の御神体を彫刻する姿を表したと伝わる。
そのため両手のバチは鑿(ノミ)を象ったといわれる。
⊞ 田楽舞
小豆沢地区担当。能衆6人。所要約7分。
だんぶり長者夫婦が農夫の耕作の労を慰めるために舞われたとも、農耕の様子を表現した舞であるともいわれる。
- 駐車場:なし
- 案内板:あり
- トイレ:あり
- 大日如来の堂(大日霊貴神社)
- だんぶり長者伝説
- 吉祥姫伝説
- 五の宮嶽伝説
- 大日如来
◆参考文献
- 増補 大日堂舞楽
- 各種説明板
取材日:2019/01/02
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