太良山峡


だいらさんきょう

山本郡藤里町藤琴

 

最終更新:2024/07/09


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:享和2年(1808)3~6月
  • 年齢:49歳
  • 書名:しげき山本
  • 形式:日記、和歌、図絵
  • 詠歌:花はいつ 桜の梢 松の葉も またゆふ凝の 霧のおくやま

真澄記:3月12日

 地元の宿屋や医者に誘われ、平(太良)山を目指す。を経て夕方に麓に着き宿を取る。


 その後もちょくちょく太良鉱山などを見学する。

見出し

  あ

📑 真澄記:3月~6月までの記録

3月13日:

 太良鉱山内を見学。たたらで『ふいご』を吹く女の歌や坑口の様子を描く。

 

3月15~18日:

 箭櫃山(鉛山)へ向かう。山奥に春はまだ来ない。

 

4月8日:

 水無へ向かう。雪解けで増水した川を渡ろうと鉱夫らが手助けしてくれた。感動。 

 

6月1日:

 避暑のため平山を登る。山の風情を満喫して夕暮れに下山。

歌碑・説明板
📍 歌碑・説明板データ

歌碑:花はいつ 桜の梢 松の葉も 

  またゆふ凝の 霧のおくやま

説明板:白神山地 太良峡

 ここは、藤琴川の上流、白神山地の一角で太良峡の中心的存在である。

碑の後方の台地は、かつては千人以上の人々が生活し繁栄した太良鉱山跡地である。

 1958年、大洪水により閉山を余儀なくされたが、今は赤レンガの煙突が痛々しく残っている。

右側の赤色の橋は、太良峡のシンボルとして1960年に開通、橋の前方のこんもりとした高い山には、鉱山集落の「火の神」として祀った愛宕堂があった。

 ここから逆上ること約三キロの地点から、太良溪谷の遊歩道が一コロにわたって整備され、その周りには樹齢二百年以上の天然秋田スギや、ブナ、ナラなどの広葉樹、大小の滝、渓谷では奇岩や白神山地の清流が満喫できる。

 また、ここから4.6kmの地点から道路が分岐し、右側の白石沢からは青森県境のつるべ峠を越え弘前市に至る。

左側の黒石沢方面は、クルミ台野営場、岳岱自然観察教育林を経て駒ケ岳登山道に至り、白神の遺産に触れることができる。

左側に真澄の歌碑が建立されているが、真澄にはこの太良峡がどのように映えたのであろうか。

 あ


太良鉱山

太良鉱山について(説明版より)

 ここは、藤琴川の上流、白神山地の一角で太良峡の中心的存在である。
碑の後方の台地は、かつては千人以上の人々が生活し繁栄した太良鉱山跡地である。
慶長年間(1600年~)銀山として開山、のちに鉛山としても発展した。
文化14年(1817)に佐竹藩直営となる。
 昭和38年(1958年)、大洪水により閉山を余儀なくされたが、今は赤レンガの煙突が痛々しく残っている。
赤色の橋は太良峡のシンボルとして昭和40(1960年)に開通、
橋の前方の こんもりとした高い山には、鉱山集落の「火の神」として祀った愛宕堂があった。




アクセス

  • 駐車場:なし
  • 案内板:なし
  • トイレ:なし

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◆参考文献・サイト


取材日:2017/06/14