【はちろうたろう】
【伝説】
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鹿角の八郎太郎伝説に「十和田から追われた八郎太郎は、鹿角を湖にしようとしたが、
これを阻止するために鹿角中の産土神たちが『花輪臥牛大寝下(はなわふくしおおねした)』の鍛冶屋12人に鉄槌と鶴嘴を打たせた」とある。
「花輪臥牛大寝下の鍛冶屋」とは、福士川の流れを利用して始まった野鍛冶で、その住んだところが
「日向屋敷」と言われている。
やがて、花輪の街中に移り住むようになり江戸時代、花輪のまちでは鍛冶屋町が発達し、
文政年間(1818-30)には十数軒の鍛冶仲間が記録されている。
鹿角鍛冶の製品は「鹿角鎌」が有名で、南部一帯、秋田、津軽にも売り出されたという。
その特徴は、研ぎやすいいことと、柄を長く作りつけてあるので鎌に力が入ることだという。
土草を刈って堆肥をつくるにはもってこいの道具であった。
関連アーカイブ
- 田沢湖
- 八郎潟
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◆参考文献
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書 巻
- 各種説明板
最終更新:2024/10/13
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