花輪の里

花輪の里

はなわのさと

鹿角市花輪

 

最終更新:2024/07/08


🖌菅江真澄の道
  • 来訪:年()月日
  • 年齢:ああ
  • 書名:ああ
  • 形式:ああ
  • 詠歌:ああ

真澄記:ああ

 

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 1度目

  • 来訪:天明5年(1785)8月27日
  • 年齢:32歳
  • けふのせばのの
  • 形式:日記
  • 詠歌:野に出て ひがしこにしこほりためて 染るとぞきく かづのむらさき

2度目

  • 来訪:文政4年(1821)3月
  • 年齢:68歳
  • 書名:上津野の花
  • 形式:雑寡

引用:道の駅かづのあんとらあ展示(原画:大館市立栗盛記念図書館所蔵

 2度の来訪で幸稲荷神社や福士川のほとりを訪ね、紫根染や茜染について触れる。

紫根染めには、『にしこおり(サワフタギ)』の灰を用いるという。

けふのせばのの》《上津野の花》

・花輪の眺望図、稲村の渡しと花輪の里

 手前に米代川、その対岸に花輪の町並が広がり、背後には五ノ宮嶽などの山々がそびえている。

《菅江真澄翁画》

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📍 標柱データ

前:ああ

ああ

横:

ああ

後:ああ

 あ


◆幸稲荷神社 由緒

  • 創建:元久年中の火災により不明
  • 御祭神:豊受姫命、猿田彦命、天宇都女命
  • 例祭日:8月16日
  • 神事:神幸太鼓・花輪ばやし(朝詰)

 鹿角花論通の総鎮守、産土神。

三倉山麓の神域付道は、古代花輪の里発祥の地とされ、代々盛岡藩主南部家の信仰が篤かった。

 大祭には花輪通代官が藩主の代拝を行い、御旅所への神幸には武装の士卒が随従した。

祭典に奉納される花輪ばやしは日本三大ばやしの一つといわれる。


 「鉱山を支えた商業の町・花輪」 

周囲が鉱脈に囲まれた盆地に能代まで流れる米代川がある立地は物資流通に優れ、鉱山労働者が集まり酒造や紫根染めなど独自の文化が育まれた商人の町として栄えた。

 メインストリートでは市日が催される。

●赤鳥居

 幸稲荷神社の参道入口にして、御同心組丁と呼ばれた武家屋敷があった地域にある。

花輪ばやしでは最後の神事のサンサを行い、神様を遥拝する場所でもある。

神社に向かうまでにもう一つ鳥居をくぐる。

●枡形(ますかた)

 『城かしら』と呼ばれる城下町に見られる町のつくりで、敵が一気に攻められないよう

カギ形状になっていた。近くに地蔵様や庚申塚などが並ぶ一角があり町はずれを思わせる。

枡形は、旅立ちの際の送り迎えをした『境むかえ』が行われた場所でもある。

●鹿角歴史民俗資料館

 大正5年(1916)に建築された旧鹿角郡公会堂を利用して作られた。広々としたホールに巨大な展示物も保存されている。

常設展示として酒造業・染物業などの資料。

 

利用案内

  • 開館時間:午前9時~午後5時
  • 休館日:毎週月曜日
  • 入館料:無料

アクセス
  • 駐車場:あり(各有料駐車場)
  • 案内板:あり
  • トイレ:あり(各施設等)

関連アーカイブ

でわwiki関連リンク

◆参考文献・施設


取材日:2018/04/17

2022/08/07

【菅江 真澄 (著), 内田 武志 (著), 宮本 常一 (著)/平凡社】