【はんにゃいん えいせん】
【人物】
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般若院玉峯英泉は江戸時代に久保田藩で活躍した宗教家・教育者である。
幼い頃から内館塾で勉学に励み、全国を遊学・行脚して秋田初の刊行物『訂正本・佛母孔雀明王経』を出版した。
関係の文書、英泉の著書、草稿写本等800点はすべて内館文庫に所蔵されている。
⊞ 般若院英泉の生涯(説明板より)
- 正徳4年(1714):綴子神宮寺家(武内氏)14代・烈光の三弟として生れる。
- 元文元年(1737):久保田に出て講席に連なる。
- 元文5年(1740):出国、大和葛城大峰山に入峰、以後全国各地を巡り秘法求道講演に行脚する。
- 延享4年(1747):江戸にて孔雀経(義浄の訳本)を得て講究。
- 宝暦元年(1754):伊勢参宮、白山、出雲、九州英彦山、厳島を経て京都にて醍醐光台院に遊学、その後山形上ノ山に寄宿中『訂正本』の原文を完成させた。
⊞ 訂正本『佛母孔雀明王経』(説明板より)
平安時代初期山伏修験道の開祖・役ノ小角が最も神聖尊重した根本経典で、英泉が当時世に流布されていたものの訓古を正したもの。
寛政5年(1793)15代神宮寺龍峯代に秋田から県北一帯の浄財で京都から出版され、秋田最初の刊行物とされる。
版木本で上、中、下三巻、九千部で経費は時価一千万円以上とされ秋田文化の原点とされている。
⊞ 真澄記・仏母大孔雀明王経《おがらの滝》
綴子に住んでいる修験者般若院という人が、仏母大孔雀明王経のよい原本を得て、醍醐(京都)の光台院の文庫にあるものと合し、やがて版木に彫ったという。
その甥の優婆塞神宮寺という人がなお健在である。
《おがらの滝》
関連アーカイブ
でわwiki関連リンク
◆参考書籍
- 菅江真澄全集第/
- 菅江真澄遊覧記第 巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書 巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種標柱・説明板
最終更新:2024/10/15
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