北条 時頼


北条 時頼

【ほうじょう ときより】

【人物】

『新式日本歴史辞典』より
『新式日本歴史辞典』より
  • 鎌倉幕府5代執権
  • 生没年:嘉禄3年(1227)~弘長3年(1263)
  • 別名:最明寺入道

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 執権を務めた時頼は引退後に『最明寺入道』と名乗り諸国行脚に出る。


 唐糸姫は北条時頼の愛妾だったが、落ちぶれた身を恥じて自害してしまう。

諸国行脚の中、津軽でそれを知った時頼は悲哀し、供養のために仏像を刻み当地を治めていた建部兄弟に依頼して丘に釈迦仏の祠を建立した。

釈迦内神明社では唐糸霊神を祭神として祀る。


 弘長2年(1262)に堂村を訪れ古刹に一泊し、死んだ愛妾『唐糸姫』の三七日法要を済ませて去った。この事績にちなんで村名も西明寺と改めた。


・正嘉元年(1257)

 諸国巡遊で立ち寄った北条時頼が、荒廃していた蚶満寺をみるに忍びず、本堂と山門を建立して、また寺領として目通り20町4方を寄進した。そして詠歌10首などを残されたという。

真澄はこの故事を覚えており、天明4年の象潟の記録《秋田のかりね》に記している。


関連アーカイブ
  • 蚶満寺

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◆参考書籍


最終更新:2024/10/17