【いちりづか】
【インフラ】
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慶長9年(1604)、徳川幕府が奥州その他街道筋諸藩に命じて築かせ、江戸・日本橋を起点と36町(4km)ごとに、道路の西側に土を盛り木を植えて標点としたもの。
道の両側に石塚を建て、植樹は欅、槻、榎、西海宇(サイカチ)等の木があり、旅人たちが憩いの目標として眺めたところである。
現在ではかろうじて保存されている樹もあるが、跡には碑や標柱等を建てて目印としている所が多い。
関連アーカイブ
でわwiki関連リンク
◆参考書籍
- 菅江真澄全集第/
- 菅江真澄遊覧記第 巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書 巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種標柱・説明板
最終更新:2024/07/19
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