寒風山 地震供養塔

寒風山 地震供養塔

なまえ

場 所

 

最終更新:202//

あああ


  • 来訪:文化7年(1810)9月27日〜10月初旬
  • 年齢:54歳
  • 書名:男鹿の寒風
  • 形式:日記

真澄記:9月27日~10月初旬

 27日は朝から天気が良く、今日のスケジュールを立てていたが、未のくだち(PM2:00過ぎ)、大きな地震が起こった。人々は阿鼻叫喚に狂い、家屋は倒壊し酒や鉢はおろか軒端の山も崩落する有様で命の危険を感じて竹林に逃れた。

 

 余震は2〜3日は続き、各地での死傷者は多いと聞いた。

文化元年(1804)6月に鳥海山の噴火で埋もれた象潟の話を思い出す。

 

 10月に入ってもなお余震は続き、寒風山の麓に卒塔婆を建てて

地震で亡くなった人の供養が行われた。

男鹿の寒風

⊞ 供養塔・内訳

  • 変死亡霊供養塔:文化7年9月25日発生。真澄も遭遇。
  • 饑亡五十回弔祭 追福之碑:天保4年の飢饉の餓死者供養。
  • 百回忌供養塔:同上(百回忌)。
  • 男鹿地震 追福之碑:昭和14年5月1日発生。
  • 昭和男鹿震災復興記念碑:昭和17年5月建立。

  売店でなまはげソフトを頬張りながら遮蔽物ひとつない展望で景色を楽しみます。

道路は通じてますが、せっかくなので徒歩で散策するのもオツだと思います。

そんなに傾斜があるわけでもなし。


グライダー体験もできる場なので、頭上に注意。

      
  • 来訪:年()月日
  • 年齢:ああ
  • 書名:ああ
  • 形式:ああ
  • 詠歌:ああ

 

  説明文あたたたたたたた

 

『説明』

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アクセス
  • 駐車場:
  • 案内板:
  • トイレ:
  • 備考:

関連アーカイブ

でわwiki関連リンク

◆参考書籍


取材日:20//0

【田口昌樹 (著)/無明舎出版】