かりわののおおつなひき
大仙市刈和野
最終更新:2024/07/07
- 来訪:文政10年(1827)小正月
- 年齢:74歳
- 書名:月の出羽路仙北郡 五
- 形式:地誌、図絵
📑[コラム] 真澄記
⊞ 真澄が見た綱引き
真澄翁は神宮寺村に滞在中に神宮寺の大綱引きを見る。
当時は刈和野と神宮寺の両村で大綱引きが行われていたようで、さしもの真澄も同時開催される綱引きを両方見ることはできなかったので刈和野の大綱引きは聞き書きに留めている。
神宮寺の大綱引きの図絵が描かれているが、これは地元の画家・富樫恒秀の手による。
神宮寺の大綱引きは明治時代に途絶えたという。
◆祭事データ
- 祭日:2月10日
- 形態:小正月行事
- 巡行:なし
- 人員:多数(一般参加も可能)
- 奉納社:浮嶋神社
室町時代、刈和野に土着した平将門の一族・長山氏の氏神の祭事が綱引きであったことが発祥とされる。
祭り当日は駅前の商店街通りを上町と下町に分断し、綱引きの勝負が行われる。
📑[コラム] 伝説
⊞ 大綱の詳細
綱は毎年新で作られ、六乃至七千束の藁を要し、藁打ち、ぐみあみ、綱よいの手順を踏まえて1ヶ月ほどかけて制作される。
- 上町(二日町):雄綱、42尋(約64m)
- 下町(五日町):雌綱、33尋(約50m)
雄綱雌綱の先端は男女陰陽の象徴である。
、綱の尺は男女それぞれの厄年を象徴している。
この2本の綱を『ケン』『サバグチ』と呼ぶ結び目を合わせて綱を引き合う。
完成した綱は会場のドップ(中心地)に『の』の字に積みあげて祭場に飾る。
まさに龍神のように見える。
神官によって祈祷された綱が大町通りに延べられ、押合い、綱合わせへと進む。
建元の目が引合い開始の了解点に達すると同時に鬨の声が上がり一斉に引合いが始まる。
指揮の提灯(サントウ)に合わせ
『ジョーヤサイー』『コデエレー(耐えれー)』
の掛声で引き合う。
⊞ 戦いの駆け引き
勝負の駆け引きは『サントウ』と呼ばれる指揮者の指示によって展開される。
・ジョヤサー ジョヤサー
攻勢時、力を結集して引く。テンポよく掛け声を合わせて引っ張る。
・コデエレー
劣勢時、皆が腰を落として耐える技。力を蓄え、逆転のタイミングを計る。
また綱を左右に重心を振ったり、綱手を拡散させたりなどの戦術がある。
勝負が決した後、大綱は浮嶋神社に奉納する。
上町が勝てば米の値があがり、下町が勝では豊作と言われる。
数時間も拮抗することもあれば、路上の滑り具合でものの5分で勝負が決まる事もあった。
⊞ 綱引きと竜神伝説
勝負がついた大綱は浮島神社境内に奉納される。
雄物川の氾濫で度々被害に遭った浮島神社では水の神である竜神を祀っており、
奉納した雄綱と雌綱を双頭の大蛇(竜神)に見立てているという。
大綱引きで勝負が白熱すると竜神もエキサイトして踊り狂い、近くの橋がグラグラと揺れるという言い伝えもある。
勝負の結果は今でこそ豊作祈願に準えたマイルドな願掛けに収まっているが、かつては町を上と下とに分けて当年の市場開設権を綱引きで争った祭事だったというので、今以上に苛烈な争いが繰り広げられた事は想像に難くない。
また同時に、市神が合祀されている浮神社の神霊供養の神事ともいわれている。
アクセス
- 駐車場:市役所等(誘導員の指示に従うべし)
- 案内板:なし
- トイレ:あり
- 備考:一般の参加も可能
関連リンク
- 浮島神社
◆参考文献
- 菅江真澄読本第5巻/田口昌樹/無明舎出版
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 秋田叢書 第8巻巻
- 西仙北町郷土史
- 湯沢叢書9 雄物川風土記
- 各種説明板
取材日:2019/02/10
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