川原毛地獄

川原毛地獄

かわらげじごく

湯沢市高松川原毛

 

最終更新:2024/1/27


菅江真澄の道

真澄記:9月6日・川原毛地獄

 早朝、雪が降りつもった白土の山を三津川から来た高橋甚太郎という案内人を先導に山を進んだ。

弥陀の浄土と名づけられた所をよじのぼり、中野津を過ぎると硫黄が採掘されていた。

 賽川原もとおり過ぎて、剣の山の背面にあたると思われるところに大釜とよばれる所がある。そこは石硫黄が燃え、たいそう太い炎がしろじろと高くあがり、それが雲となり霧となって麓の山路を覆っている。

 噴出孔の響きは落雷でもするかのように、山に鳴り轟いていて恐ろしいほどである。

高松日記

 

⊞ 真澄記:川原毛山の土産《雪の出羽路 雄勝郡》

 

本草学者の真澄が川原毛で見た山野草。

⊞ イワナシ

 ツツジ科の山草。

山枇杷菜、伊婆梨子、岩梨と書く。名前の通りナシのような食感の実が生る。

阿仁や比内などでは岩豆と呼ぶ、と地誌に記す。

 

⊞ ヒメイワカガミ

 イワウメ科の常緑多年草。

地桜と称し、花の色は薄紫、雪が消えるの待っていそぎ咲く、その意味で『われさき』と呼ばれる、と地誌に記す。

 

⊞ イソツツジ

 ツツジ科の常緑小低木。

岳茶と称し、花は岳丸雪(だけあられ)、玉柴と呼ばれる。

これで茶をつくり疝気の治療薬とする、と地誌に記す。

 

雪の出羽路 雄勝郡

現世の地獄

 川原毛地獄は古くから羽州の通融嶮(つうゆうけん)と呼ばれ、南部の恐山・越中の立山と共に日本三大霊山の一つであり、王朝時代から多くの修験者や参詣人が訪れ女人禁制の山であった。

 白い山肌は噴出される酸性火山ガスの漂白作用による。有毒。

硫黄の結晶が確認され、硫黄の採掘は江戸時代から昭和中期まで続けられた。

ゆざわジオパーク指定。

⊞ 川原毛地獄変遷(説明板より)
  • 大同2年(807):月窓和尚が霊通山前湯寺を建立。
  • 夭長6年(829):慈覚大師が訪れ、法羅陀地蔵と自作の面を奉献。
  • 明徳4年(1393):前湯寺は梅壇上人により三途川に移転。
  • 元和9年(1623):硫黄の採掘開始
  • 昭和41年(1966):閉山

 地獄の名の通り、血の池地獄や針山地獄など136の地獄があり、極楽もある。

先では熱湯が噴出して湯の川となり、温泉跡もある。

⊞ 伝説 内容

天然の打たせ湯・川原毛大湯滝

 滝そのものが温泉であり、滝つぼや渓流は天然の露天風呂となる。  温泉は、滝より上流で湧き出ており途中で泥水と混ざり、夏の間はちょうど良い湯加減になって流れ落ちていく。

ゆざわジオパーク指定。


落差:約2m

温度:98℃

泉質:強酸性

入浴適期:7月上旬~9月中旬


泥湯温泉

菅江真澄の道

真澄記:

 この泥温泉(どろゆ)は濁っていて、さながは泥水の如くに湧出ている。

本温泉(もとゆ)の峯は天狗岩と呼ばれ、様々な岩山が周囲を覆っている。

坂一つ越えて浴舎ひしひしと並び建ち、4月から8月まで多くの湯治客が来湯する。

 行きゆきて、西ノ又・東ノ又・女滝・男滝という所あり。

高松日記

真澄記:小安温泉試巧考(原文)

 

 温湯(いでゆ)黒色にして気味からく、明礬(ミョウバン)ありて湧き出るならん。

南風吹て雨を催すときは湯甚だ温く、北風晴れわたるときはかならず寒(ぬる)し。

としとして変化あり。

 

この温泉は有馬にならび、その巧を試みし人、また諸国すぎやうの人のものがたりに脚気・頭痛・手足の筋引はり、また筋骨いたみ、あるは手あしのびがたきもの、あしいたみ、腰なやむ人、疝気をいやし、はらめる女、この湯にあたたまりて安産せしこと多しといへり。



アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:なし
  • 備考:立入禁止区域あり

関連アーカイブ

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◆参考文献


取材日:2018/06/10

【田口昌樹 (著)/無明舎出版】