熊谷 新右衛門


熊谷 新右衛門

くまがい しんえもん

【人物】

  • 寛政4年(1792)~弘化2年(1845)

  • 仙台藩気仙沼生


 

 大工の家系で藩から代々『御郡棟梁』を拝命する家柄。『新右衛門』の名は襲名であり、当代の直方(本名)は5代目に当たる。帯刀御免、代官にも顔が利く立場にあり、5代目新右衛門はきっての秀才とされた。
享年53。
 天保の大飢饉では東北各地で甚大な死者を出した。
仙台藩は救済策として天保7年(1836)に有力商人らに他領米の買付けを命じ『御救助米』の確保を図った。熊谷も藩命を受けた1人であるが、翌年には米8000俵が到着し城下町は危機を脱したとされる。
 他の施策として穀物の貸付、酒造の禁止などがある。
秋田の旅

 秋田の滞在は天保8年(1837)3月~6月までの約3ヶ月。


 時は未曾有の大飢饉、旅の目的は矢島藩の米問屋から御救助米を買い気仙沼へ手配する事だった。更には通行許可を得る為に久保田城まで通う。


日記には米の取引額と当時の相場を知る事が出来る。

真澄が熊谷家に滞在?

 真澄は天明6年(1786)7月から気仙沼で熊谷直剛なる者の宅に逗留している。《はしわのわかば続》


この直剛が新右衛門の家系だろうか(当時の熊谷家当主は直仁)。気仙沼は熊谷姓が多い土地柄なので無関係の可能性も高い。


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最終更新:2024/08/20