明徳館


明徳館

【めいとくかん】

【施設】


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 秋田藩9代藩主・佐竹義和が開設した藩校。


  寛政2年(1790)に旧東根小屋町(現、秋田市中通一丁目4)に校舎が完成し、当初は学館と称した。

寛政5年(1793)には儒学者山本北山を招いて規則を定め、校名を明道館とし、文化8年(1811)に明徳館と改めた。


 明治3年(1870)に藩学校と改称されるまで明徳館と呼ばれ、藩士に対して儒教の代表的教典である四書などの経書や史書の講義が行われたほか、医師の子供や藩士の次男、三男などを対象に医学を教えた医学局、日本の古典を研究する和学局も設けられた。




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◆参考書籍


最終更新:2024/10/19

【秋田県商工会議所連合会 (監修), 秋田魁新報社 (編集)】