ねっこ
北秋田市阿仁根子根子又
最終更新:2024/07/10
マタギ言葉の中には獲物の肉を『サチノミ』、米を『草の実』といい、蝦夷ことばもたいそう多かった。
⊞ 真澄記・月祭り《みかべのよろひ》
今夜の月を祭るといって、新粢(ニイシトギ)や瓜の葉に盛った新米をそなえ神酒をささげる。
御歳の神をまつる習わしを、8月15日の今夜の月よみの神祭りにとりまぜて行なっていた。
童らが群がってくると、りんごう(ワリンゴ)・しとぎ、その他なにやかやとくだものを与えているうちに、夜もふけた。
📍 標柱 表記データ
佐藤利右衛門宅敷地内に建立される。
標柱は当代佐藤氏の自作によるもの。
根子集落は、源平合戦の後、落人がこの地に住み着いたと云われている。
四方がすり鉢状に山に囲まれており隠れ里と呼ばれ、阿仁マタギ発祥の地としても知られる。
根子村は四方を山に囲まれた秘境である。
もともと外部から村民を誘致することで成り立った村だそうだ。
根子番楽の文学性、根子マタギの先見性などは外部から持ち込んだセンスの賜物といえようか。
⊞ ・根子地区におけるマタギ文化の実態(根子在住・佐藤様談話)
マタギ発祥の村というだけあって、勢力は他の村と比しても最大。
先の大戦でマタギも徴兵されたが、他の村では平均4-5人程度の出兵だったが、根子では84人ものマタギが駆り出された。今でこそマタギは消えゆく伝統の灯火として儚まれているが、佐藤さんの言によれば、なるべくしてなった状況だという。
マタギは狩った獲物を分解して骨や内蔵を感想して薬にした。
精製した薬をシーズンオフ時に里へ下りて売り歩いたのだがその際、マタギの過酷な暮らしとは正反対の村里の合理的で安定した生活を目の当たりにし、生活水準をそちらへシフトするようになり、厳格なマタギ文化は姿を消していったのだという。
●根子トンネル
根子根子集落と国道を結ぶ道として昭和50年に開通。それまで村民は峠を越えて、あるいは川伝いに遠回りして村を抜けたという。
トンネル内は一方通行で中間地点に車避けスペースがある。
◆佐藤利右衛門宅
菅江真澄が宿泊した佐藤利右衛門は根子村の肝煎(リーダー)に当たる。真澄は村同士の肝煎やマタギのシカリ(統率者)のツテを辿って村へ逗留した。この事からも真澄のコミュ力の高さが伺える。
取材を受けた佐藤さんは佐藤利右衛門のご子孫にあたる。大変気さくに博識に取材に応じてくださった。
●根子山神社
マタギの神様である『山神様』を祀っており、マタギたちの信仰の聖地として鎮座する。
●根子番楽伝承館
旧根子小学校体育館。
根子集落で伝承されている根子番楽は祭り当日、ここで舞われる。
●魚形文刻石
⊞ データ(説明板より)
- 昭和30年1月24日指定
- 所在地 阿仁町根子字館下段
- 所有者 根子小学校
- 高さ:1.5m
- 底径:63cm
- 厚さ:50cm
秋田県指定有形文化財。
大正年代、根子字館下段の佐藤氏の屋敷内から発掘されたもの。
安山岩の表面に、32cm~13cmの魚形文が十尾ほど線刻されている。
この魚形文刻石の時代については明らかではないが、近くに縄文時代中期の遺跡のあることから、その時代のものと推測されている。
(説明板より)
- 駐車場:随所
- 案内板:なし
- トイレ:なし
- 根子番楽
- 打当
- 笑内(中島金兵衛宅)
◆参考文献
- 菅江真澄遊覧記第4巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一 訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 阿仁根子・佐藤様より取材
- 各種説明板
取材日:2016/06/28
2016/10/20
2022/11/14
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