大物忌神


大物忌神

【おおものいみのかみ】

【神仏】


鳥海山の噴火と神位の累進

◎飛鳥時代-

 578年の頃から養老元年(717)頃までの間、幾度かの噴火があり、この時期は大和民族がこの地に入り出羽国を置かんとしていた時期に符号する。

このことは大物忌神(鳥海山)は、朝廷より鎮護の神として祀られ、厚い信仰を受けるようになった一つの証しといえよう。


◎弘仁時代以下の噴火地震の回数

・第1回-

 弘仁年間(810ー825)-『三大実録』の記録による(噴火と地震)。

  ※承和5年(838)-正五以下勲五等を賜る。

・第2回-

 承和6年(839)-『続日本紀』の記録による(噴煙と地震)。

・第3回-

 承和7年(840)-

  従四位下に累進(神封二戸賜る)。(遣唐使の難破と大物忌神の噴火あり。)

・第4回-

 嘉祥3年(850)-

  大地震あり、震源地は最上川口。

  (朝廷に現れた物怪が大物忌神の祟りと占われた。

  その上この地震で昔の『象潟』が出現したと伝えられている。)

 貞観4年(862)-大物忌神が『官社』に成る。

 貞観6年(864)-正四位上に累進(蝦夷の地の加護を図る)。

         同-従三位に累進(朝廷が大物忌神に祈願)。

 貞観10年(868)-歴史書の初めて載る(出羽国に国司を置く)。

・第5回-

 貞観13年(871)-『三代実録』の記録による(噴煙と地震)。

・第6回-

 貞観15年(873)-正三位に累進。地震・暴風・流星等あり。

 (この時、朝廷では殺生禁止令を出す。)

 ※元慶2年(878)-蝦夷の反乱(『元慶の乱』の事)。

         同-正三位勲五等に累進(元慶の乱の必勝祈願)。

         同-正三位勲三等に累進。

 ※元慶4年(880)-従二位に累進(元慶の乱の鎮護と大物忌神への感謝)

・第7回-

 元慶8年(884)-『三代実録』の記録による(噴煙と地震)。

・第8回-

 延喜15年(915)-『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の記録による(噴煙と地震)

 ※延長5年(927)-

   『延喜式』の撰進される(出羽国の大社に昇進し、『明神』と成る)。

・第9回-

 天慶2年(939)-『本朝世紀』の記録による(噴煙と地震)。

 ※                 同-出羽国反乱・噴火の記録一度あるも神位なし。

         (歴史の記録としては正二位に累進)

 ※天文元年(1736)-最高位正一位に累進する。

・第10回-

 天文5年(1740)-1年間鳴動し、噴煙続く。

・第11回-

 享和元年(1801)-荒神嶽より噴火(『新山』の形成を見る)。

・第12回-

 文化元年(1804)-『象潟』隆起し、現在の地形となり石塊噴出。

          (家屋倒壊多く、家畜(牛馬)の死無残なり。)

・第13回-

 文政4年(1821)-鳥海山噴火。(噴煙と地揺れあり。)

・第14回-

 昭和49年(1974)-山頂より噴煙と泥流あり。

★承和5年従五位下勲五等の位階を受けて以来、累進を重ねて最高位にまでの進階を見る。

★神位の累進は、噴火と密接な関係をもちながらも、その地域の鎮護と戦勝祈願(朝廷では噴火地震は何者かへの『祟り』と考えていた。)

★大物忌神の位階勲等の対象は大物忌神であって神社ではない。

2007.3.15 須田薫氏 記



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  • 鳥海山


◆参考書籍


最終更新:2024/08/03