こがねしみず
大仙市美郷町浪花上荒井
最終更新:2024/1/27
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📍 標柱データ
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千畑村郷土誌によると、佐竹義重が六郷に隠居の際、千屋村を巡回し真昼に参詣する途中、この場所で昼食をとるため休んだ所と伝えられる。
サンショウウウオが棲むと説明板にある。
◆千屋断層(一丈木坂)
◆真澄図絵
黄金清水近くにある公園兼水源地。
公園がある台地は、断層運動によって隆起してできたもので、
明治29年(1896)の陸羽地震の時、この台地の麓に断層が現れ台地は3mほど隆起した。
真澄の図絵では『一丈木坂』として描かれる。
⊞ 陸羽断層(説明板より)
明治29年(1898)8月31日、真昼山地(奥羽山脈)地下を震源地として、マグニチュード7.2の地震が発生しました。
この地震は、岩手県(陸前)と秋田(羽後)に大きな被害をもたらしたので、陸羽地震とよばれています。
この地震では、1000人近い死傷者(死者209人・負傷者779人)と、全壊家屋5792戸が記録されています。
この地震の時、地震を起こした断層が地表に現れ、土手のように高くなった断層崖をつくりました。
断層崖は今でも見ることができます。 秋田県側では仙北市・田沢湖町生保内地区から美郷町・六郷東部の山麓に沿って断続的ではありますが、
約40kmの区間に、 岩手県側では和賀川沿いの川舟地区を中心に約10kmの区間に、それぞれ残っています。
なかでも、美郷町・一丈木を中心とした千屋丘陵の西側の麓にある千屋断層では、断層の動いた量が最も大きく(最大上下変位量3.5㍍)、地震の時に地面がどのように動いたか、当時の様子を観察することができます。
秋田県側の地表に現れた断層は、どこでも真昼山地の地下(東)の方に向かって傾いています。
地震の時、真昼山地は、この東に傾いた断層(面)に沿ってずり上がり、西側の横手盆地の方に近づいたのです。
このように傾いた断層面に沿ってずり上がるように動く断層を逆断層とよびます。
千屋断層のような逆断層は、地震が起こるときにだけ動き、そのたびに台地、丘、山地は少しづつ高くなっていきます。
千屋断層は、だいたい300年から4000年に一回の割合で、地震を起こすと考えられています。
約100年前に地震が起こったのですから、千屋断層は、この先は当分動かないと考えられます。
千屋断層のように、繰り返し地震を起こしながら動く断層を、活断層とよびます。
日本各地には、たくさんの活断層がありますが、なかでも東北地方には、この千屋断層と同じような性質を持った活断層があります。
📑 伝説
●一丈木遺跡
⊞ 一丈木遺跡(説明板より)
一丈木跡は、長年の断層運動によって隆起した標高140m前後の台地の西端に位置しています。
遺跡の範囲は、南側の町道をはさんだ公園まで広がり、縄文時代中期(約五千年前)の遺構や遺物が発見されています。これまで行われた発掘調査では、竪穴住居跡二十一軒のほか、土杭や配石遺構など多くの遺構が確認されています。
住居跡は円形で周囲に溝が巡らされ、石で囲んだ炉がつくられているものもあります。
遺物は、縄文時代中期の縄文土器(深鉢・浅鉢ほか)や土偶・器台・石斧・石匙・石鍬・石棒・石皿などが出土しています。
この遺跡は、縄文時代中期全般にわたって利用され、この地域の中心的な働きをした集落遺跡と考えられ、 昭和51年(1976)に秋田県指定遺跡となりました。
- 駐車場:なし
- 案内板:なし
◆参考文献
- 千畑村郷土史
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 秋田叢書 第10巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種説明板
取材日:2016/10/07
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