ろくごうのかまくらぎょうじ
美郷町六郷本道町
取材日:2024/07/06
- 来訪:文政11年(1828)正月
- 年齢:75歳
- 書名:月の出羽路仙北郡 十六巻 六郷高野神社部 下
- 形式:地誌、図絵
◆真澄図絵
真澄記:
六郷高野にて正月を迎える。
この日は屠蘇白酒を杯にドブロクを戴くのが郷の習わしである。
子供たちは色とりどりの紙を竿に付けて立て、木貝、桶貝を鳴らして諏訪神社の前で正月飾りを燃やしてどんど焼きを行った。
祭事データ
- 祭日:2月11日(蔵開き)〜15日(天筆、竹うち)
- 形態:小正月行事
- 奉納社:諏訪神社
豊作祈願の火祭として行われる小正月行事。
京都御所で行われていた正月の火祭“左義長(さぎちょう)”の吉書焼きの遺風をうつしたものであり、鎌倉初期に二階堂氏が六郷の地頭となり、鎌倉幕府の“吉書初め”の行事をもたらしたものといわれている。
『かまくら』の名を冠しているが、これもまた他のかまくら行事とは趣を大きく異にしている。
⊞ 日程
- 11日:蔵開き(商家で帳面の表紙を書く)、天筆書初め
- 12〜14日:小正月市、天筆揚揚
- 13日頃:鳥追い
- 14日頃:餅つき
- 15日:天筆焼き、竹うち(午後8時から)
◆天筆
男児が長い青竹に5色の半紙を3つに長く断ってを繋げて外に立てる幟のこと。
⊞ 天筆
- 『奉納鎌倉大明神天筆和合楽地福円万々々…』
- 『奉納歳徳大明神天筆和合楽地福円万々々…』
- 『日月清明楽五穀豊饒楽天下泰平楽国家安康楽家内安全楽商売繁盛楽富貴長命楽子孫長久楽学問上達楽』
…などと書き上げてから
『あらたまの年の始めに筆とりて萬の宝かくぞあつむる (年月日 氏名 吉日) 敬白』
と付す。昔の寺子屋時代は『天筆手本』があり必修科目であった。
また当時は男児のみであったが現在は性別なく皆書き上げているようだ。
天筆は15日の最終日に燃やす。
竹うち
カマクラ行事最終日・午後8時に諏訪神社前の広場行われる町内を二分する乱戦。
左義長の火を囲って南軍・北軍に分かれ、高さ5mの青竹をぶつけ合い豊作を占うという模擬戦ではあるが、負傷必至の荒行事なので各人はヘルメット等を装備して戦いに臨む
⊞ 北軍・南軍
- 北軍:
-
- 馬町、本道町、東高方町、西高方町、宝門清水、𨯯田
- 北軍が勝てば豊作となる。
- 南軍:
-
- 旭町、新町、荒町、上町
- 南軍が勝てば米の値段が上がる。
⊞ 勝負のルール
双方竹を打ち合うのみなので明確な勝敗のルールが存在しない。
3回勝負を行い、諏訪神社の神様が審議する。
『両軍ともに去年より気合が足りない。引き分け』
などとジャッジしたりする。理不尽。
昔は相手陣地を押して中心から8m後退させれば決着、という明確なルールは存在したようだ。
しかしそれは会場を大きく外れて神社の裏側まで攻めたりと、カオスな惨状が展開し、また負傷者も多数であったという。
当時は警察も不問にしていたようだが、近年のコンプライアンス配慮に伴い、現在は飛び入りの禁止、竹の使用の規制、会場内の規制などルールも変化していった。
行事中、夜半は諏訪神社のライトアップなどビジュアル面での工夫も見られる。
令和3年(2021)の様子
新型ウィルス感染拡大に伴い、祭りは中止となった当年だが、代替行事として竹灯篭の点灯が行われた。
趣向を凝らした竹細工は見事でこの静なるカマクラもまた良しと思いました。
秋田風俗問状答図絵
引用:国立国会図書館デジタルコレクション 風俗問状答
アクセス
- 駐車場:なし?(道路脇)
- 案内板:あり
- トイレ:あり
【県内のかまくら行事】
◆参考文献
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 六郷町史
- 六郷町の三大行事/美郷町学友館蔵
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種説明板
取材日:2017/2/15
2020/2/15
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