【さとう たぢへい】
【人物】
- 川向村肝煎、酒造業
- 出身地:湯沢
- 生没年:?~文政2年(1819)
川向村菅生(湯沢市)の富豪で酒造業を営んでいた。
真澄の雄勝郡探訪の協力者であり、文化11年(1814)は佐藤家を拠点に巡村調査を行った。
真澄が佐藤家を離れてからも度々文でやり取りをしており、佐藤太治兵衛宛ての書簡が6通残されている(菅江真澄全集第12巻)。
その親密ぶりは、太治兵衛が醸していた酒の銘として『御代ノ松・千代ノ春』と真澄が名付け贈った事などからも窺える。
『太治兵衛』という名は一個人のものではなく、代々の襲名であろう事が『先祖代々仏名』から推察されている(真澄研究第23号)。
近年の研究と発見
明治時代以降、主家が断絶して資料に乏しかったが、近年研究が進んでいる。
平成28年(2016)に旧佐藤太治兵衛家の家屋から真澄直筆とされる墨絵の板壁が秋田県立博物館に寄贈された。
この墨絵は真澄の著書の図絵と特徴が酷似しており、本人画と証明されれば真澄図絵の中でも随一の大きい作品となる。
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◆参考文献
- 菅江真澄全集第12巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 没後百九十年記念展 菅江真澄、記憶のかたち/秋田県立博物館
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
最終更新:2024/09/06
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