
しらたきみょうじん
大仙市協和峰吉川
最終更新:2025/02/07


峰吉川は大仙市
大仙市の史跡一覧への丁度真ん中あたりに位置する。町の中を突っ切る国道13号線からは広大な田園地帯が望める。
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄は、地誌《月の出羽路 仙北郡菅江真澄の後期の著書。
峰吉川村は二巻『かたびらの里』に収録。
》に峰吉川に関する図絵を4枚描いており、今回はその図絵らに描かれている『白糸の滝』を目指して歩を進めてみる事にする。



国道から庚申塔干支の組み合わせのこと。
かのえさる。
のある入り口から入ってしばし進むと旧家・進藤家の表門の名残があるト字路に差し掛かるのでこれを曲がる。
するとやがて舗装路が途絶え砂利道に変わるが、これが往年の羽州街道秋田の主要街道。
直近の宿場は刈和野村。
となる。刈和野付近までの旧街道は現在の国道と道筋が符号するが、ここから協和の境までは『峰の山』の峠道を行くことになるのだ。

ほどなくすると旧羽州街道の痕跡を示す常夜灯が建っており、岐路がある。
この常夜灯は嘉永元年(1848)に造られたものとされ、ここに善知鳥一里塚一里塚
街道の起点から36町(4km)ごとに道路の西側に土を盛り植樹し標点としたもの。
があったという。現在はその一里塚の面影は見当たらぬ。

さてこの分かれ道、どちらを行くべきか?



明治14年9月18日、明治天皇が東北ご巡幸に約350名の随行者を伴って、秋田町(現秋田市)から和田を通り境村に宿泊される。
翌19日境村を出発した天皇は途中峰の山頂上から四方を観望され休憩後峰の山を下った。天皇はこの地で板奥から馬車に乗り換え られる際に御召換され刈和野村へと向かわれた。
協和町教育委員会 平成15年6月
両脇に石碑と地蔵堂が並んでいる。
地蔵堂はだいぶ放置されており崩壊が進んでいる。
左側の碑は明治14年(1881)に明治天皇が当地を御巡幸された事を記念に建てられたもの。
地元の郷土史によると、天皇は御輿でこの山を越えたがその不便さが官民の知るところとなり、明治20年頃には半仙経由の線路沿いの進路(現在の国道13号線の前身)が開通したという。


『茶亭(チャヤ)ノ坂』
宝永(1704~1711)の頃、
ここに年老いた夫婦が住んでいたという言い伝えがあり『祖父が茶屋跡』と呼ばれた。
《月の出羽路 仙北郡》
しばらく山道の傾斜が続く。
菅江真澄の記録では街道当時、峰の山に続く道に茶屋があり、『茶亭ノ坂』などとも呼ばれていたと記されている。
また『羽陰温故誌 明治時代に成立した秋田の郷土資料。
第三期 新秋田叢書に収録。
』によると、西の麓に鉱泉場(温泉)があり、一時廃業していたものの明治13年(1880)に再営業し繁盛したとある。
現在は当然オアシスなどはなく、林業の伐採地として業者が出入りしているのみである。
しばらく登るとT字路になり、業者トラックが往来しやすいように道が拓けている。街道は右の道へと進む。
眼下に溜め池があり、白糸の滝はここから流れている。峰吉川の広大な田圃の灌漑を担う重要な水源だ。
遠く滝の流れる音が聴こえる。
杉林に目を向けると今にも倒壊しそうな小祠があった。中には放置されたままの塞の神が倒れていた。
この状態で放置されてから一体どれほどの年月が経ったのだろうか。昭和43年に発刊された地元の郷土史によると、男根を模した高さ92㎝の自然石が建っているとあったが、現在は見受けられなかった。
上図の《月の出羽路 仙北郡》『峰の山』の街道を描いた図絵に、『道祖神 集落のはずれ、道の辻や脇に建つ石神の類の立像の総称。
』とマーキングされた箇所があった。位置的にこの塞ノ神が該当するのかも知れない。
同じ図絵には遠景に鳥海山が描かれているが、晴れた日にはこの大仙市からでも鳥海山はよく見える。


『祖父長峯、祖母長嶺』
正徳、享保の頃、白糸の滝に参拝した老夫婦が崖から滝に滑落して死亡した。
憐れんだ里の人々は2人の屍を埋めて嶺から塩を流して弔った。
《月の出羽路 仙北郡》


とりあえず今回はT字路を左に曲がり里へ下りた。終点は国道13号線へ合流するが、
先程通った峰の山への入口からさほど距離は離れていない。
近くに、廃校になった峰吉川小学校の校舎跡を利用した民俗資料館『くらしの歴史観』があるが、こちらは非公開で基本的に入場不可となっている。

常夜灯の岐路を右に進むと、目的地の白糸の滝へ行くことができる。
800mほど。熊に注意。菅江真澄の図絵には峰の山の山道から入る鳥居が描かれているが現存はしない。

文政九年(一八二六) 白滝明神の由来を記録 (月の出羽路仙北郡)
小野中将の和歌に 夏と秋 行きかふ滝や しら糸に 紅葉織込む かたひらの里
平成二年十一月 青少年ふるさと運動実行委員

昔は高善寺の修行道場として全国各地から山伏たちが集い、荒行をなした。
昭和二十七年秋田観光三十景に入選、脚光を浴びる。
駐車スペースが4~5台分設けてある。祭日は関係者で賑わう事だろう。
『菅江真澄の道』と『協和第十八景』の標柱が2基。写真は2016年に撮ったものだが2024年に再訪した時は倒れて木にもたれ掛かっていた。
大仙市は2017年に驚異的な水害に見舞われた。ここも相当に被害を被ったのは想像に難くない。

いざ参拝。
橋は湿気で滑りやすくなっておる。
参道は整備されているわけではないが歩きやすい。社殿まで5分ほどつづら折りの傾斜を登る。

◆白滝明神(今木神社)由緒
- 御祭神:日本武尊、不動明王
- 別名:お不動さん
- 摂社:竜神社
- 例祭日:夏祭5月28日、秋祭8月28日(旧暦)
- 御神体:滝そのもの
-
- 一の滝:長さ82m、高さ49m
- 二の滝:長さ17m、高さ8m
- 三の滝:長さ約11m、高さ約6m
峰吉川は今でこそ旧協和町の中に含まれているが昔は刈和野村の支郷であった。
当時は高善寺の修行道場として全国各地から山伏修験道の修行者のこと。
修験者とも呼ぶ。
たちが集い、荒行をなした場所だった。
真澄の図絵の随所でも行者の修行場を思わせる名前が振られており、それは現在も残っている。ぜひ図絵と写真を見比べてみて欲しい。

『縁起』
古来から3度の地震があり、堂は荒れるに任せていた。
が、享保18年癸丑2月7日、村人の進藤久兵衛(25)の若者に神の託宣があり、新たに堂を作った。
《月の出羽路 仙北郡》
規模はそれほど大きくはないが、滝が脈々と落ちていた。
案内してくれた氏子の方からすれば、往時よりだいぶ水量が少なくなったらしい。
手前に不動明王を祀る祠があるが、言い伝えではこの滝に雨乞いをしたところ、不動明王力でもって災い、悪、煩悩を断ち切るパワフルな仏様。
顔が怖い。
が顕れて大雨のお告げをしたとされる。

今木神社には不動明王を祀っているが、御神体は滝そのものだという。
3つの滝からなり、『峯の白滝』とも呼ばれている。
菅江真澄の図絵では山頂までを俯瞰で描かれているが、実際に滝を辿って登るのは難儀しそうなので現状断念した。
熊怖いし…




取材当時(2016年)、早朝たまたま散歩されていた氏子の進藤様にご案内とお話を賜った。
曰く、昔はもっと滝の水量があり、参詣者も絶えなかったとの事。
最近は若い人が訪れなくて寂しい、と嘆いておられたのが印象的だった。
ささやかなご縁を持てたことを、この場を借りてお礼を申し上げます。
駐車場 | 案内板 | トイレ |
〇 | 〇 | × |
【近隣施設】
大仙市民俗収蔵庫
大仙市協和峰吉川南明谷地36-1

- 見学可能日時:平日(年末年始を除く)9:00~15:30
基本的に非公開。見学希望の際は7日前までに大仙市教育委員会 文化財課に連絡されたし。
取材日:2016/7/20
2024/4/18
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