しらたきみょうじん
大仙市協和峰吉川
最終更新:2024/10/25
峰吉川は大仙市の丁度真ん中あたりに位置する。町の中を突っ切る国道13号線からは広大な田園地帯が望める。
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄は、地誌《月の出羽路 仙北郡菅江真澄の後期の著書。
峰吉川村は二巻『かたびらの里』に収録。
》に峰吉川に関する図絵を4枚描いており、今回はその図絵らに描かれている『白糸の滝』を目指して歩を進めてみる事にする。
- 来訪:文政9年(1826)
- 年齢:73歳
- 書名:月の出羽路 仙北郡 第二巻
- 形式:地誌、図絵
- 詠歌:夏と秋 行きかふ滝や しら糸に 紅葉織込む かたひらの里(平安時代の歌人・小野中将の和歌を引用)
国道から庚申塔のある入り口から入ってしばし進むと旧家・進藤家の表門の名残があるト字路に差し掛かるのでこれを曲がる。
するとやがて舗装路が途絶え砂利道に変わるが、これが往年の羽州街道となる。刈和野付近までの旧街道は現在の国道と道筋が符号するが、ここから協和の境までは『峰の山』の峠道を行くことになるのだ。
さてこの分かれ道、どちらを行くべきか?
常夜灯の岐路を左に登ると羽州街道の峠道に入る。
両脇に石碑と地蔵堂が並んでいる。
地蔵堂はだいぶ放置されており崩壊が進んでいる。
左側の碑は明治14年(1881)に明治天皇が当地を御巡幸された事を記念に建てられたもの。
明治14年9月18日、明治天皇が東北ご巡幸に約350名の随行者を伴って、秋田町(現秋田市)から和田を通り境村に宿泊される。
翌19日境村を出発した天皇は途中峰の山頂上から四方を観望され休憩後峰の山を下った。天皇はこの地で板奥から馬車に乗り換え られる際に御召換され刈和野村へと向かわれた。
協和町教育委員会 平成15年6月
しばらく山道の傾斜が続く。
菅江真澄の記録では街道当時、峰の山に続く道に茶屋があり、『茶亭ノ坂』などとも呼ばれていたと記されている。
また『羽陰温故誌第三期 新秋田叢書 収録
』によると、西の麓に鉱泉場(温泉)があり、一時廃業していたものの明治13年(1880)に再営業し繁盛したとある。
現在は当然オアシスなどはなく、林業の伐採地として業者が出入りしているのみである。
『茶亭(チャヤ)ノ坂』
宝永(1704~1711)の頃、ここに年老いた夫婦が住んでいたという言い伝えから『祖父が茶屋跡』と呼ばれた。
《月の出羽路 仙北郡》
しばらく登るとT字路になり、業者トラックが往来しやすいように道が拓けている。街道は右の道へと進む。
眼下に溜め池があり、白糸の滝はここから流れている。峰吉川の広大な田圃の灌漑を担う重要な水源だ。
遠く滝の流れる音が聴こえる。
杉林に目を向けると今にも倒壊しそうな小祠があった。中には放置されたままの塞の神が倒れていた。この状態で放置されてから一体どれほどの年月が経ったのだろうか。
菅江真澄が描いた『峰の山』の街道を描いた図絵に、『道祖神』とマーキングされた箇所があった。位置的にこの塞ノ神が該当するのかも知れない。
同じ図絵には遠景に鳥海山が描かれているが、晴れた日にはこの大仙市からでも鳥海山はよく見える。
『祖父長峯、祖母長嶺』
正徳、享保の頃、白糸の滝に参拝した老夫婦が崖から滝に滑落して死亡した。
憐れんだ里の人々は2人の屍を埋めて嶺から塩を流して弔った。
《月の出羽路 仙北郡》
とりあえず今回はT字路を左に曲がり里へ下りた。終点は国道13号線へ合流するが、
先程通った峰の山への入口からさほど距離は離れていない。
近くに、廃校になった峰吉川小学校の校舎跡を利用した民俗資料館があるが、こちらは非公開で基本的に入場不可となっている。
常夜灯の岐路を右に進むと、目的地の白糸の滝へ行くことができる。
800mほど。熊に注意。
菅江真澄の図絵には峰の山の山道から入る鳥居が描かれているが現存はしない。
駐車スペースが4~5台分設けてある。祭日は関係者で賑わう事だろう。
『菅江真澄の道』と『協和第十八景』の標柱が2基。写真は2016年に撮ったものだが2024年に再訪した時は倒れて木にもたれ掛かっていた。
大仙市は2017年に驚異的な水害に見舞われた。ここも相当に被害を被ったのは想像に難くない。
- 文政九年(一八二六) 白滝明神の由来を記録 (月の出羽路仙北郡)
- 小野中将の和歌に
夏と秋 行きかふ滝や しら糸に 紅葉織込む かたひらの里 - 平成二年十一月 青少年ふるさと運動実行委員
昔は高善寺の修行道場として全国各地から山伏たちが集い、荒行をなした。
昭和二十七年秋田観光三十景に入選、脚光を浴びる。
いざ参拝。
橋は湿気で滑りやすくなっておる。
参道は整備されているわけではないが歩きやすい。社殿まで5分ほどつづら折りの傾斜を登る。
到着。
峰吉川は今でこそ旧協和町の中に含まれているが昔は刈和野村の支郷であった。
当時は高善寺の修行道場として全国各地から山伏たちが集い、荒行をなした場所だった。
真澄の図絵の随所でも行者の修行場を思わせる名前が振られており、それは現在も残っている。ぜひ図絵と写真を見比べてみて欲しい。
今木神社には不動明王を祀っているが、御神体は滝そのものだという。
3つの滝からなり、『峯の白滝』とも呼ばれている。
『巡礼記』にはこの地を訪れた人として、役行者、聖徳太子、行基、空海など18人の名をあげているが真実性に乏しい。その中に月泉良泉、清原武則、小野良実の秋田県人がいる。この三人はこの地を訪れても不思議ではない。
標柱の和歌は小野小町の父良実の和歌である。
『縁起』
古来から3度の地震があり、堂は荒れるに任せていたが、享保18年癸丑2月7日、村人の進藤久兵衛(25)の若者に神の託宣があり、新たに堂を作った。
《月の出羽路 仙北郡》
白滝明神
取材当時(2016年)、早朝たまたま散歩されていた氏子の進藤様にご案内とお話を賜った。
曰く、昔はもっと滝の水量があり、参詣者も絶えなかったとの事。
最近は若い人が訪れなくて寂しい、と嘆いておられたのが印象的だった。
ささやかなご縁を持てたことを、この場を借りてお礼を申し上げます。
- 駐車場:あり
- 案内板:あり
- トイレ:なし
- 備考:熊に注意(氏子さん談)
◆参考文献・サイト
- 菅江真澄全集 第七巻/内田武志・宮本常一 編
- ガイド菅江真澄の道--仙北・大曲編-/田口昌樹 著
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 第三期 新秋田叢書 五(羽陰温故誌)/歴史図書社
- 日本歴史地名大系5 秋田県の地名/平凡社
- 協和町史 上・下巻
- 協和村郷土史
- 取材協力・新藤様
取材日:2016/7/20
2024/4/18
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