【すずき つねお】
【人物】
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延享3年(1746)~文化6年(1809)
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仙台藩大肝煎
【菅江真澄関連人物】
白山村(岩手県前沢村)に住み、後三年合戦で東北に出陣した源義家の家臣が祖先の家柄とされる。
菅江真澄は天明5年(1785)10月から一年ほど鈴木家に滞在し常雄と親交を深めた。
常雄自身は文芸、和歌に優れ多くの文人との交流が深かった。
2人の交流は常雄が著した日記や歌集で知る事ができる。そして真澄の南部藩から仙台藩までの旅は常雄による援助があったとされる。
その後、天明8年(1788)に真澄が松前藩に渡った折にあわや入国を拒否されかけたが、それを救ったのが予てより交わしていた常雄の手紙による証明であった。それほどまでに鈴木常雄の顔の広さが窺える。
真澄が蝦夷地に移ってからも常雄とは文通にて和歌や書面のやり取りを続け、一連の文通は『蝦夷錦』と題されてまとめられ、鈴木家に残された。菅江真澄全集第12巻に、本人に宛てられた書簡が掲載されている。
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◆参考文献
- 菅江真澄全集第12巻
- 菅江真澄読本4/田口昌樹 著
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種説明板
最終更新:2024/09/18
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