たいへいざん あさひまた
秋田市仁別
最終更新:2024/11/20
- 来訪:文化9年(1812)月
- 年齢:59歳
- 書名:月のおろちね
- 形式:日記、図絵
- 詠歌:取付けてうら見る路の眞葛かな
夜が明け朝食を取って下山。三吉の話など織り交ぜながら日記に記す。
《月のおろちね》
◆仁別下山口
あ
●真澄図絵
堂の隙間から光が差し込み、夜が明けた。
下山を始め、山道に織り成す樹々や植物を細かに記録するのは、本草学者たる真澄翁の面目躍如といったところか。
『から滝』という坂をスケッチに描く。
普段はただの山道だが、雨が降り木々の滴りが一つの流れになると滝浪となって落ちる場所を言う。
他、日記には三吉霊神の伝説やひる子物語など、太平山にまつわる逸話を併記する。
《月のおろちね》
- 文化九年(一八一二)七月二十日 下山の途中、この地で休息する 《月のおろちね》
- 同行した那珂道博の和歌
掬ぶ(むすぶ)手も氷るおもひにあな涼し 清きが上への浄き真清水 - 平成二年八月 秋田市連合青年会 秋田市サークル連合協議会
あ
路の傍に清水があった。
「さあ、汲んで飲もう」
と手を入れると、手首も凍るほどの冷たさだった。
また山中に木隠れの池があり、それも『みたらし』というとの事である。
・詠歌:掬ぶ(むすぶ)手も氷るおもひにあな涼し 清きが上への浄き真清水〈那珂通博のよめる〉
《月のおろちね》
📍 標柱データ
- 文政九年(一八二六) 白滝明神の由来を記録 (月の出羽路仙北郡)
- 小野中将の和歌に
夏と秋 行きかふ滝や しら糸に 紅葉織込む かたひらの里 - 平成二年十一月 青少年ふるさと運動実行委員
昔は高善寺の修行道場として全国各地から山伏たちが集い、荒行をなした。
昭和二十七年秋田観光三十景に入選、脚光を浴びる。
あ
説明文あたたたたたたた
●真澄図絵
神前の鳥居に木の枝をびっしりと投げかけてある。
また、大きなろくろ木を三尺ばかりに切り斧で皮を削り、社のそばに押し立ててある。これらは『逆木』と呼ばれていた。これもまた山賤(山仕事をする人々)たちの風習なのであろう。
《月のおろちね》
神前の鳥居に木の枝をびっしりと投げかけてある。
また、大きなろくろ木を三尺ばかりに切り斧で皮を削り、社のそばに押し立ててある。これらは『逆木』と呼ばれていた。
これもまた山賤(山仕事をする人々)たちの風習なのであろう。
《月のおろちね》
●旭又登山口駐車場
●仁別国民の森
案内人は歩き慣れた道だと言って、しかし皆ここは何処だといいながら行けども行けども果てしなく、
ただ暗い山沢の道を辿って進んだ。山の方向から推測して
「ああ嬉しい、見覚えたところに近づいてきた」
という間も無く、川原村と元町の村境に出て大道となった。
《月のおろちね》
●真澄図絵
●大平山遠景(一の鳥居)
川瀬に下りて、重い草鞋を脱ぎ泥まみれの脚絆を洗って、嵯峨氏の家に着いた。
道中のみやげ話をしながら、ようやく人心地がついたと言って笑い合い寒食の行い(修行)も終わったな、などと冗談を言ってまた笑い合った。
こうして食事を終えて夜も更けて床に臥した。
《月のおろちね》
◆【番外編】《雪のおろちね》
大平山登頂を果たした真澄翁だが、翌年の冬にまた登って景観を描いている。
なおこちらの≪雪のおろちね≫はほぼ文章はなく図絵のみとなっている。
- 来訪:年()月
- 年齢:歳
- 書名:
- 形式:
- 詠歌:
- 来訪:文化10(1813)10月
- 年齢:60歳
- 書名:雪のおろちね
- 形式:図絵集
- 内容:降雪してからまた大平山に登り写生した。
というわけで大平山、制覇しました。
正直、ただの県内の標柱探しから始めた菅江真澄の足跡を追うのも山を登るに至るまでになるとは
思いもよりませんでしたが、しかし良い経験になりました。
取材登山に同行してくれた富沢さん、途中、疲弊してた自分を車で送ってくださった方に感謝の意を申し上げます。
ありがとうございました。
…でもしばらくは再登山は勘弁ね。
- 駐車場:あり(登山道入口)
- 案内板:あり
- トイレ:あり
- 仁別
- 嵯峨勝珍旧宅跡
◆参考文献
- 大平山三吉神社HP
- 菅江真澄遊覧記第5巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 取材協力・富沢克次
取材日:2018/08/11
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