【たかしな(たかはし との説も有力) さだふさ】
【人物】
- 天明4年(1784)~弘化4年(1847)
- 秋田藩士、国学者
9代藩主・義和の小姓と後に大番組頭を務めた。
文化8年(1811)、那珂通博の紹介により真 澄を知り真澄の「秋田六郡の地誌編纂」の希望を聞き、真澄と義和公との橋渡し役を担ったとされている。
真澄より30歳年少の若輩ながら、真澄の著書を所蔵した他、地誌編纂の後見人を務めるなど堅密な親交を結んでいた。
自身が著した随筆『おほまあらこ』の一項や短冊には真澄の著作についての雑感が書き残されている。
国学者であり、本居大平の門人。
鎌田正家、鳥野長秋、大友直枝らと秋田本居学グループを形成していた。
菅江真澄全集第12巻に、本人に宛てられた書簡が掲載されている。
関連アーカイブ
◆参考文献
- 菅江真澄読本4/田口昌樹 著
- 菅江真澄全集第12巻
- 菅江真澄遊覧記/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 没後百九十年記念展 菅江真澄、記憶のかたち/秋田県立博物館
最終更新:2024/09/25
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