【たんぜんしょうにん】
【人物】
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宝暦8年(1758)〜文政12年(1829)
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布金山応供寺 住職
編集中
仙台出身で松島瑞巌寺で学び、寛政5年(1793)に応供寺住職に赴任。和歌、詩歌にもすぐれていた。
真澄が文政年間に久保田の梅津家中屋敷に滞在していた頃に親交を深めた。
【文化5年(1822)12月27日】
湛然上人より紫菜(のり)と味噌を贈られる。
《笹ノ屋日記》
【文化8年(1811)5月中旬】
大久保(昭和町)の円福寺に、久保田で世話になった湛然上人がおられるというので訪ねた。
《軒の山吹》
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◆参考文献
- 菅江真澄読本4/田口昌樹 著
- 菅江真澄遊覧記第5巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
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- 秋田叢書 巻
最終更新:2024/09/28
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