八乙女古城跡


やおとめこじょうあと

大仙市長野字長野山地内

 

最終更新:2025/01/05


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  • 来訪:文政12年(1829)
  • 年齢:76歳
  • 書名:月の出羽路 仙北郡
  • 形式:地誌、図絵

 中世城館・八乙女城について記録。

《月の出羽路 仙北郡 霞む弥丁女》


菅江真澄の道 八乙女古城跡

 

 文政十二年(一八二九)「霞む弥丁女」を記録。「月の出羽路仙北郡」

所在地 秋田県大仙市長野字長野山地内

その文に、此古城の迹より焼米(ヤキコメ)、焼小豆の出るといへり。

平成二年十一月 青少年ふるさと運動実行委員会

(平成二十二年七月 中仙地域菅江真澄研究会更新)



平成22年(2010)標柱建て替え。

◆園内スポット

⊞ 史跡 八乙女城址詳細

 玉川と斉内川の合流地点に築かれた中世城館。
規模は東西500m、南北約400m。
築城の時期は利然としないが、戦国期に角館城を拠点として仙北地方一帯を支配した戸沢氏の重臣を担ったと 考えられる八乙女氏が居城したと伝えられる。

 頂上部分の東側にある平坦面にある郭(くるわ)を築くなど自然の地形を利用しており、
主郭部分からは仙北平野を一望できる要衝の地である。

 菅江真澄の記録から、当時、一大勢力を誇っていた安倍氏の防衛拠点として、
10世紀の初めには城廓として 開発されたものと考えられている。

 また、城址には「見張岩」「手投石」「延命水」などのほか、
前九年の役にまつわる 源義家軍との攻防のようすが伝説として残される。


菅埋蔵文化財包蔵地 八乙女城

 

 玉川と斉内川の合流地点に築かれた中世城館で、城館の規模は東西五百m、南北約四百mになる。

築城の時期は利然としないが、戦国期に角館城を拠点として仙北地方一帯を支配した戸沢氏の重臣を担ったと考えられる八乙女氏が居城したと伝えられる。

 頂上部分の東側にある平坦面にある郭(くるわ)を築くなど自然の地形を利用しており、主郭部分からは仙北平野を一望できる要衝の地である。

 文化財保護法に基づく「周知の埋蔵文化財包蔵地」であり、開発事業等の計画者は、

教育委員会との事前協議が必要である。


秋田県遺跡地図掲載番号212-49-37

種別…城跡 遺構及び遺物等…主郭跡

秋田県教育委員会 大仙市教育委員会  建立

平成二十二年三月三十一日 大仙市教育委員会




史跡 八乙女城址

 
 ここ八乙女城址は、文献や記録に一部記載されていますが、その規模や建物の跡など、
詳しいことはわかっていません。
 文政十一年(1828)にこの地を訪れた菅江真澄の著書「月の出羽時」に記されている
内容から、当時、一大勢力を誇っていた安倍氏の防衛拠点として、十世紀の初めには城廓として
開発されたものと考えられています。
 また、城址には「見張岩」「手投石」「延命水」などのほか、前九年の役にまつわる
源義家軍との攻防のようすが伝説として残され、往時のようすを偲ぶことができます。
 今は全山に二千本あまりのソメイヨシノが植えられ、城山の頂上に広がる四季折々の
風景とともに桜の名所として人々に親しまれています。
中仙町

図絵検証
甲 乙 丙PHOTO

 

甲 乙 丙PHOTO


道の駅 なかせん

秋田県大仙市長野高畑95-1


道の駅なかせん(大仙市中仙)
  • 営業時間:9:00~18:00
  • こめこめプラザ、直売、各種お食事処etc

駐車場の構造がなかなかクセが強い。

 


アクセス

  • 駐車場:あり
  • 案内板:あり
  • トイレ:あり
  • 備考:傾斜を登る際は対向車に注意(徐行してください)。

関連アーカイブ
  • 幕林八幡宮

でわwiki関連リンク

◆参考文献


取材日:2016/04/26

2017/04/25